着物姿の男の人が、縁側に新聞を広げて爪を切る。ひざにはネコ。畳の部屋には、急須とお茶― というと、『サザエさん』の波平さんを思い浮かべてしまいそうですが、今回ご紹介するのはこちら、おいなりさんです。
『おいなりさん』もとしたいづみ文、中川学絵、アリス館、2022 amazon
ん? おいなりさん?
「おいなりさん」は、身体は人間のようですが、頭部はまさかのいなり寿司。地元の小学生に慕われる、書道教室の先生です(ちなみに書道教室は、おいなりさんの手作りおやつも人気です)。
この絵本では、はたきをかけたり、雑巾がけをしたり、たらいでお洗濯をしたりと、おいなりさんの「昭和な」暮らしが描かれていて、それを見ているだけでも楽しいのですが、主人公がおいなりさんだけに、普通と少し違うのです。
身なりを整えるのに使うのが、砂糖を溶かした醤油に生姜汁を混ぜたローションだったり、雨に濡れた頭をストーブで乾かすと、香ばしくていい匂いがしたり。
いわゆる「ていねいな暮らし」と「おいなりさん」のこのギャップ……。ニヤニヤ笑いがこみあげてきます。
私がハッとしたのは、地区に赴任してきた先生が、おいなりさんの存在に驚いたこと。おいなりさんが、くるよさんというおいなりさんのお隣さんと立ち話をしているときに現れたのですが……。
「お、おいなりさんって おいなりさん なんですか!」
「まあ、ふつうは おどろくわよね」
くるよさんは うんうんと うなずきました。
こちらとしては、本の世界には何でも起こりうるという気構えで読んでいますから、おいなりさんが町で暮らしていても、何の違和感もないわけです。ほかにも、「のりまきさん」がいるような町をどこかでイメージしていたのかもしれません。
なのに、なのに。ああ、おいなりさんは、普通は驚くような、つまり私のこの町にいてもおかしくないような存在だったのです!
そうなると、俄然おいなりさんが身近に感じられ、なんというか、一気に好感度が上がってしまいました。
さて、おいなりさんと出会ったときの先生の「食いつき」ぶりが気になりますが、ドッキリ、ハラハラした展開がありつつも、幸せそうに晩ご飯を食べるおいなりさんでエンディングを迎えます。
おいなりさんの醸し出す真面目で穏やかな空気と、登場人物の豊か…… というよりはこってりした表情と動きに、読んでいると気が緩み、なごやかな気持ちになります。
暑い中、少しの涼しさが見つかるようなころから、冬、2月の初午にかけて、ぜひ読んでいただきたい絵本です。ほっとするのはもちろんですが、生活する中で発生するあれやこれやに、ていねいに取り組みたくなるかもしれません。
にこっとポイント
- おいなりさんが主人公の、ほっと笑える絵本です。
- 昭和らしいていねいな暮らしも見どころです。おいなりさんの家(間取りもあります!)や、夕ご飯の献立なども楽しめます。
- 絵本から少し離れてしまった小学生以上、大人の方からの反応も、抜群によい絵本です。
(にこっと絵本 高橋真生)