ねずみのアレクサンダは、ある日、ぜんまいねずみのウイリーと出会います。
『アレクサンダとぜんまいねずみ―ともだちをみつけたねずみのはなし』レオ=レオニ作、谷川俊太郎訳、好学社、1975 amazon
二匹は仲良くなりますが、人間に嫌われているアレクサンダは、大切にされているおもちゃのウイリーがうらやましくてたまりません。
そんなときアレクサンダは、ウイリーから、生きものをほかの生きものに変えることのできる、魔法のとかげの話を聞きました。
とかげに教わり、願いをかなえるために必要な「むらさきの小石」を必死で探すアレクサンダ。一方で、ウイリーはほかの古いおもちゃと一緒に捨てられてしまいます。
「かわいそうなウイリー!」
アレクサンダが、泣きそうになったとき、突然、何かが光りました。それは……。
複雑な表情をもつ、ことばとコラージュの美しさ
「たすけて! たすけて! ねずみよ!」という悲鳴とともに、四方八方に飛び散るお皿やスプーン。逃げるアレクサンダ。これが、この絵本のはじまりです。
はりつめた空気の中、「ちっちゃな あしの だせるかぎりの スピードで」逃げる小さなアレクサンダの体は本当に頼りなく、見ていて切なくなるほど。
さらに、ひとりぼっちがつらい、友だちができてうれしい、誰かがひどくうらやましい― そんなアレクサンダの気持ちが細やかに描かれるので、「今、こここから抜け出したい」という願いがグッと心に迫ります。
そして、ウイリーもまた、「人間に飽きられる」という不安と常に隣り合わせ。自分で動くことも ― むらさきの小石を探しに行くことも― できないという悲しみはとても深いのです。
ねずみたちや景色を形作るコラージュはあたたかみがあって、さまざまな模様につい見入ってしまうほどの美しさ。
けれど、それは、どこかよそよそしかったり、息がつまる重たさがあったり、寂しげだったり、ねずみたちの気持ちにピタリと合うような、さまざまな表情のある美しさなのです。
アレクサンダだけでなく、<わたし>も問われる「本当の望み」
魔法のとかげは、アレクサンダに問いかけます。「おまえは だれに、それとも なにに なりたいの?」
いつだってウイリーをうらやんでいたアレクサンダは、そこではじめて気づきます。
それは、自分の本当の望みは、ぜんまいねずみになって人間にちやほやされることではなく、ウイリーと一緒に過ごすことだということでした。
真っ黒な空に浮かぶ、白くて大きな満月に、ちょうちょうの色をしたとかげ― 幻想的な、まるで月に吸い込まれて自分も夜の庭にいるような場面です。
さあ、あなたはいかがですか? むらさきの小石を見つけたら、とかげに問いかけられたら、なんて答えますか?
人生の節目に思い出す物語― 小学生の感想から
アレクサンダとウイリーの幸せな姿は、やはりうれしいもの。絵本を読んだ子どもたちも、ほっとするようです。
けれど、以前、一緒に絵本を読んだ小学校低学年の子どもたちの感想には、こんなものもありました。
ウイリーも本物のねずみになってよかった。パンくずをさがすのはたいへんだけど、がんばってほしい。
アレクサンダとウイリーは、これから、いいことだけじゃなくて、いやなことも話せるお友だちになれると思いました。
ぼくは、だれかになりたいとは思わないけど、かえたいことはあるから、むらさきの小石を見つけたら、なやむと思う。アレクサンダたちはもうなやまないと思う。
この物語はハッピーエンドと言えますが、確かに、ここがスタートでもあるのです。アレクサンダもウイリーも、これからきっと、新たな問題にぶつかるでしょう。
こんな感想を聞かせてもらいながら、私はこれって、人生の節目と似てる?なんて思ったのでした。
進学・就職・結婚・出産…… 大きな区切りではあるけれど、決してゴールではありませんよね。
この絵本を読んだ人たちは、そんなときに、思い出すのかもしれません。夜空に浮かぶ、白くて丸い大きな月のことを。そして、きっと、その月の下、向き合うべきものを静かに見つめることができるのではないでしょうか。
にこっとポイント
- 文章もコラージュもとても美しく、月のきれいな夜に特に読みたくなる絵本です。
- ハッピーエンドといえますが、その続きをふと考えてしまうような物語で、人生の節目に寄り添うようです。
(にこっと絵本 高橋真生)