宮沢賢治の描く愛憎を、絵本で読む。
『画本 宮沢賢治 土神と狐』宮沢賢治作、小林敏也画、パロル舎、1985 amazon
一本木の野原の、北のはずれの少し高く盛りあがった所に、一本の奇麗な女の樺の木がありました。この木には、二人の友達がいました。一人は、姿形も粗野で荒々しい土神、もう一人は、上品な紳士の狐です。
二人は、美しい樺の木の関心をひこうとしますが、上品に服を着こなし星や詩をロマンチックに語る狐に対し、口下手で泥臭い土神は、嫉妬にもがき苦しみます。しかし実は、狐が見せていたのは、自身を虚飾した偽りの姿だったのです。
三人の関係の行く末は―。絵本を閉じた後も物語について考えてしまうような、そんなラストになっています。
違うようで、実は同じ? 土神と狐の関係
樺の木と距離を縮めていく狐に対し、恋の炎に身を焦がし煩悶するだけの土神。対極的に見える二人の姿ですが、実は、表裏一体だったのかもしれません。
二人の共通点は、きっと「孤独と劣等感」。
神とはいえ供物もなく、人間からは忘れられた存在である、土神。紺の背広を着こなし、西洋の知識を身に付けた狐への劣等感にさいなまれています。
そして、狐は、死ぬことよりも自分の嘘がばれることを恐れていました。もしかしたら、狐の方も神である土神を羨ましく感じ、その飾り気のない堂々とした姿になりたいとさえ思っていたのかもしれません。
土神も狐も、同じように一人で苦しみ、相手への劣等感を募らせていたのではないでしょうか?
絵本を開いて表紙と裏表紙を同時に眺めてみると、赤い背景に憤怒の表情をたたえたどす黒い顔の土神と、青い美しい星空の背景の中樺の木と語りあう狐の姿が並んでいます。
この絵本は、この二人の姿こそが、このお話の大きなテーマなのだと気づかせてくれるのです。
自分からは見えない、相手の苦しみ
思い描いていたのとは違う、狐の本当の姿に気づいたとき、土神は声をあげて泣くのでした。
それはどんな思いだったのでしょう。相手が羨ましくて、自分にないものを持っていると信じ憎んでいたのに、相手も自分と同じような苦しみを抱えていたと知ったら……。
恋愛でも、人間関係でも、こんなことって日常の中でもあるかもしれませんね。
恋敵が羨ましくて、妬ましくて、もがき苦しむ切なさ。あんな人好きじゃない、どうってことないんだと自分に言い聞かせてみたり、向こうはきっと自分を待ってくれているのではと期待してみたり。
樺の木を巡る三角関係のストーリーを、誰かを恋しく思う経験 ― 恋愛でも、友情でも― のある人なら、こんな心の機微を共感しながら読むことができるかもしれません。
そして、自分からは見えない相手の苦しみや本当の姿があるかもしれない、と気付くことは、嫉妬を越えた新たな人間関係があり得ることも、示してくれているのではないでしょうか。
文学作品を、絵本で味わうよさ― 絵本だからこそ増す深み
文学作品を絵本で読むと、作品の「読み方」のヒントを視覚的に受け取ることができます。文学作品を絵本に描く絵本作家の方々は、物語を深く読み込み、そのテーマを渾身の力で表現してくれているからです。
本作も、版画の鮮やかな色や、登場人物の動き一つ一つから、喜び・悲しみ・苦悩・焦りなどが手にとるように伝わってきます。また、特に後半のスピード感は、ストーリーの急展開にピタリと合っていて、グッと迫るものがあります。
作者、小林敏也さんは宮沢賢治の童話を絵本にしたシリーズをライフワークとし、詩画集なども出しています。宮沢賢治作品を愛し、深く理解しているからこそ描ける宮沢賢治の世界なのです。
文字だけではいまいち世界観に入り込めないというお子さんや、大人になって改めて作品を深く読み込みたいという大人にも、自信を持っておすすめできる一冊です。
にこっとポイント
- 人間関係を見つめ直したいときにおすすめです。
- 文学作品を絵本で読むと、お話の解釈を視覚的に受け取り、ヒントをもらえます。文学作品を絵本化したものは他にも多く出版されているので、自分のお気に入りのシリーズを探してみるのも楽しみの一つです。
- 宮沢賢治の絵本では、ミキハウスのシリーズがあります。荒井良二さんやあべ弘士さんなど、多くの有名絵本作家さんがそれぞれの作品の絵を担当しています。
(にこっと絵本 Haru)