なにげない日々の暮らしの積み重ねが、母子の信頼と絆を築くのだと伝えてくれます。
『さくら子のたんじょう日』 宮川ひろ作、こみねゆら絵、童心社、2004
折れた栗の木の頭の部分からさくらの芽が出て一本の木になった― まるで栗の木がみごもって、さくらという赤ちゃんを生んだかのような「みごも栗」。そんな自然界の雄大さ、神秘さは、人々に力と勇気、希望とを与えてくれます。
やがて、赤ちゃんがほしいと願うたくさんの人が、その栗の木に会いにくるようになりました。
『さくら子のたんじょう日』のさくら子のかあさんも、その一人でした。小学2年生のさくら子は、自分の名前がこの木に由来していると知ったのをきっかけに、初めてみごも栗に会いに出かけます。
そして、それから数年後の6年生になる春、さくら子は、かあさんがみごも栗を大切に思う理由を知ることになります。それは、自分の出生にまつわることでした。けれどさくら子は、それを静かに受け入れるのでした。
さくら子の心を守った、毎日の暮らし
まず、私は、さくら子という小さな女の子の心の落ち着きぶりに驚きました。なぜ、こうも自分の中に疑問や不安をとどめておけるのか。大人でもしんどい内容です。もっと心を掻き回されても不思議ではないのに、もっとぐちゃぐちゃになっても当たり前なのに、どうして……?
けれど、この絵本から受ける印象は、やさしく、ゆったりとしたものです。さくら子とかあさんの日常の会話、透明感のある絵から伝わる落ち着いた暮らしぶりなどから、さくら子が大切に育てられていることがよくわかります。
毎日の穏やかで満ち足りた生活、また、彼女を見守るあたたかな人たちの存在が、真実を素直に受け止める糧になったのだと思いました。
栗の木のように、さくら子を支える存在
そしてなにより、さくら子の心をしっかり支えていたのは、かあさんの人柄でした。かあさんは、母親としてというより、一人の人間としてさくら子と向かい合っているように感じます。「立派な母親でありたい」とか「こういう母親でありたい」とかではなく、さくら子をちゃんと一人前として接し、尊重しています。
さて、この二人の関係をみごも栗だと考えられないでしょうか。みごも栗の、栗の木がかあさん、さくらがさくら子です。本当の親子ではなくても、継ぎ目のない不思議なこの一本の木が、二人の信頼関係を表しているように思えます。
大切だけれど、重い事実を受け止めなければならないさくら子が― 「許せた」と言っては厳しいのだけれど ― 「あぁ、自分はそうなのか」と自然体で受け入れられたのは、そんなかあさんがいたからではないでしょうか。
何気ない積み重ねが、大切なところでつながれる信頼関係を築くのだと、かあさんと栗の木が教えてくれます。
希望をもって大人への一歩を踏み出せる、強さ
お話の最後で、さくら子はみごも栗を見上げて思います。「わたしも、大きくなって、あんなやさしい花を咲かせたいな……」と。
みごも栗は、さくら子にとっても、明るい希望と大切な指標になりました。そして、「私はこれでいいんだ」という確信のようなものを得られたのかもしれません。これは、私も含めて、大人でも欲しいと思う、考え方や精神のありようです。
自分を受け入れることで、心の視点が少し変わり、大人に一歩近づいたさくら子。希望を持って生きることの大切さを、この絵本を読んで感じました。
出発の春― 『さくら子のたんじょうび』はこの季節にピッタリの絵本です。
にこっとポイント
- 「みごも栗」を中心にした自然の美しさやさくら子の日常を細やかに描いた絵が、さくら子の心のうごきと成長を丁寧に伝えてくれます。
- 何気ない母子の暮らしの積み重ねが、大切なところでしっかりつながっている信頼と絆を作っていることを教えてくれます。
- 春は、それまでの環境や自分の思いを少し変えて、新たな気持ちで出発する季節です。さくらこが、希望をもって大人への第一歩を踏み出していこうとする姿が描かれているところが、この季節にピッタリです。
(寄稿:絵本専門士<東京都>インコのおともだちR.T)